この記事では「お待ちになる」と「お待ちする」の違いについて解説をします。
「お待ちになる」とは?
何かが実現するまで時間を費やす、行おうとしていた動作を途中でやめるという意味です。
こういった行為をしているのは話し手以外の人です。
「お待ち」は「待つ」のことで、ある事柄が実現するまで時間を過ごす、行おうとする動作を途中でやめるという意味になります。
「お」はしたに「になる」をそえた形で用いると、相手に尊敬の意を表します。
「お待ちになる」の使い方
この言葉は、話し手以外の人が待つことをしているのを指すときに使用をします。
待っているのは話し手ではなく、それ以外の人です。
「お~になる」の形は、その行為をしている人に対して尊敬の意を表します。
そのため、目上の人や取引先の相手、お客様などに対して使用することが可能です。
たとえば、自社にお客様がやってきたとします。
対応をする者が今別の人と話しているため、お客様の対応をすぐにすることができません。
そういったときには、お客様を部屋に案内をし、対応する者がやってくるまで時間を過ごしてもらいます。
このときのお客様の行為を指してこの言葉を用います。
「お待ちする」とは?
待っているという意味です。
待っているのは話し手になります。
「お待ち」は待つことという意味です。
「する」は「お」を伴う語とともに使用をすると謙譲の意になります。
ある動作や行為を行うという意味です。
「お待ちする」の使い方
この言葉は、話し手が待つという意味で使用をします。
ある事柄が実現するまで時間を過ごすという行為を、話し手が行う場合をいいます。
たとえば、自分の上司が他社に出かけて話し合いをしたとします。
そのときに荷物持ちとして部下がついて行きました。
部下は荷物を持つためにやって来ており、話し合いを一緒にするために来たのではありません。
そのため、上司が話し合いをしている間は、部屋の外で時間を過ごしていました。
このときの部下の行為がこの言葉が指すものになります。
待つという行為をしている者を低めた表現で、話し手側を低めて表現することで、他者に対して尊敬の意を表しています。
「お待ちになる」と「お待ちする」の違い
ある事柄が実現するまで時間を過ごすという意味が同じです。
違いは、誰がその行為を行っているかです。
前者は話し手以外の人がその行為を行っており、後者は話し手がその行為を行っています。
まとめ
2つの言葉は、あることが実現するまで時間を過ごすという意味が同じですが、その行為を誰が行うのかという点に違いがあります。
待つということを誰が行っているのかを考えて用いましょう。