「泥仕合」と「泥試合」の違いとは?使い方や例文など分かりやすく解釈

「泥仕合」と「泥試合 」の違い ビジネス用語【二語】

この記事では、「泥仕合」「泥試合 」の違いを分かりやすく説明していきます。

「泥仕合」とは?

双方が相手の欠点・失敗・秘密などを言い立てて非難しあう醜い争いという意味で、双方が脛に傷を持っているような暴露合戦的なものを指します。

また、争点がどんどんずれていってしまうことを指すこともあり、泥の中で立ち回っているような様子というところから泥仕合と言われます。

低レベルな争いという意味でも使えなくはありませんが、動物は泥仕合をするとは言い難く、初めて出会った人同士でも泥仕合とは言い難いでしょう。

言いかえとしては足の引っ張りあい、醜い争い、暴露合戦などが挙げられます。

国会の論戦などは様々なスキャンダルの暴露によって相手政党の支持率を下げるという目論見もあるため泥仕合になりやすいとも言えます。

ひどい泥仕合というような強調した使い方も可能です。

会社間での泥仕合というケースはあまりなく、裁判沙汰になった際にそう言われることはありますが、争いがある関係にならない限りはそうはなりません。

「泥試合 」とは?

泥仕合の誤用とされる言葉で、この場合の意図は全く同じものとなります。

「内容の低レベルな試合」という意味合いで使われるケースもありますが、こちらも泥仕合と大きく意味は変わっていません。

スポーツ紙などで泥まみれで試合をしたことについて泥試合をしたという記事に関してはいろいろなものを掛けた言葉になっていて、誤用とは言い難い複雑な言葉になっています。

平仮名でどろじあいと使うのが難しいという問題はあり、基本的には泥仕合という言葉をメインで使ったほうが手堅いと言え、わざわざ泥試合を意識して使う必要はないでしょう。

今後言葉が変わっていく可能性も考えられますが、当面、泥仕合と大きく意味は変化しないものと考えられます。


「泥仕合」と「泥試合 」の違い

双方が相手の欠点・失敗・秘密などを言い立てて非難しあう醜い争いという意味で、双方が脛に傷を持っているような暴露合戦的なもの、建設的ではない言い争い、低レベルな争いという意味が泥仕合にはあり、その誤用として泥試合があると見られています。

泥試合という言葉は誤用ではないという見方もありますが、泥試合独自の意味合いがある言葉ではありません。

泥仕合は歌舞伎で、舞台に泥田を作って立回りを演じることという言葉の由来があります。

泥まみれで見にくい、立ち回りとしても格好良くないということが言えるもので、泥仕合自体が理想的な行為ではないとも言えます。

特に会社間では裁判などない限りは泥仕合にはならないと言えるでしょう。

まとめ

泥仕合の誤用が泥試合という見方があり、泥試合という言葉に独自の意味もないことから、積極的には使わないほうが無難な言葉と言えます。

意味自体は建設性のない過去の汚点を言い合うような非難の応酬といったもので、理想的な状況では一切なく、ないに越したことはないものとすら言えます。