この記事では「カタルシスを感じる」という言葉について説明していきます。
「カタルシスを感じる」とは?
押し殺していた気持ちが開放されてスッキリすること、その問題のために淀んでいた気持ちが問題が解決して気持ちが晴れることなどを指します。
マンガやアニメ、映画などはカタルシスを感じるように作られていることが多く、主人公の勝ち負けに至るまでの様々な展開によってカタルシスを感じるということはあります。
ただし勝敗のあるものでは内容にかかわらず勝ったほうがカタルシスを感じることは多いと言え、勝ったのにカタルシスを感じないというストーリーはかなりのアイデアが必要で、負けたのにカタルシスを感じるというのも同じように技量が必要になります。
勝ちと負けの数が決まっているトーナメント式の作品はカタルシスを感じるシーンを量産しづらいという不利な面もあります。
「カタルシスを感じる」の使い方や使われ方、使うときの注意点
ビジネスの場においては勝敗的なものがある際、大きな結果が出た際などに感想として使うことはできます。
とは言え、社内の朝礼などで「カタルシスを感じる結果となりました」という賞賛の仕方はやや珍しいとはいえます。
文章的な表現ということができ、発声して使うことはやや少ないと言えるでしょう。
勝ちっぱなしではカタルシスを感じることもなくなるとは考えられますが、実際にそういった人は僅かなのであまり問題ではありません。
逆にギャンブルにおいて負けを対してなんとも思わず、小さな勝ちで大きなカタルシスを感じるという場合非常に危険といえます。
「カタルシスを感じる」を使った例文
・『長いこと負け続けていただけに今日の勝ちはカタルシスを感じる』
スポーツ観戦などでの用例です。
発声して使うよりは記事などでの用例と言えるでしょう。
・『程よくカタルシスを感じるゲームとなっています』
ゲームの感想という例文で、展開が巧みということになります。
・『応援していたキャラクターが負けたのにカタルシスを感じる』
非常に巧みな展開の作品に触れた感想となります。
いい勝負だったと言いかえられるとも言えます。
「カタルシスを感じる」の類語や言いかえ
完全にイコールではありませんが「爽快感を感じる」、「達成感を感じる」などが近い言葉と言えます。
「発散される」も近いと言えるでしょう。
「カタルシスを感じる」の敬語表現
カタルシス自体を敬語にはできないため、「感じられたようです」など「感じる」の部分を敬語にすることになります。
「カタルシスを感じる」の返答例
同じ場などにいてカタルシスを感じるシーンを共有した人ではいいと思ったシーンについて語り合うということが理想的な返答例と言えます。
まとめ
カタルシスを感じるという言葉はエンターテイメント作品などで意図は使われるものの直接発して使う言葉とはややいい難い部分があります。
感想の記事などで使うことはあるでしょう。