「うがった見方かもしれませんが」とは?ビジネスでの使い方や敬語や言い換えなど分かりやすく解釈

「うがった見方かもしれませんが」とは? ビジネス用語【一語】

この記事では、ビジネスシーンでもしばしば使われる表現の「うがった見方かもしれませんが」について、その意味や使い方等を分かりやすく説明します。

「うがった見方かもしれませんが」とは?意味

「うがった見方」の意味は「物事の本質をうまく的確に言い表した見方」と言うのが本来の意味です。

「うがつ」は元々は「穴を開ける」との意味で、そこから転じて「人情の機微に巧みに触れる、物事の本質をうまく的確に言い表こと」の意味になったものです。

従って、「うがった見方かもしれませんが」との意味は「物事の本質をうまく的確に言い表した見方かもしれませんが」なります。

しかし、「物事の本質をうまく的確に言い表した見方」を、わざわざ「かも知れませんが」と断りをするのは、おかしな話と言えます。

実は「うがった見方」は本来は先に記した意味なのですが、最近では多くの人が「疑って掛かるような見方をする」意味だと間違って捉えているのです。

むしろ、こちらの本来は間違いである意味で使われることの方が、多いと言えるのです。

「うがった見方かもしれませんが」のビジネスでの使い方や使われ方、使うときの注意点

「うがった見方かもしれませんが」は、本来の意味からはおかしな表現で、これは「うがった見方」「疑って掛かるような見方をする」意味だとして使われた表現だと言えます。

この場合は、「疑って掛かるような見方かも知れませんが」と断りの前置きをして内容を伝えることになり、文脈としてはおかしくはなくなります。

こうした使い方は、本来は間違いです。

しかし、多くの人が誤用していることで、間違いとは言い切れない状況となっており、辞書でも本来の意味とこの間違えて使われている意味の両方を併記しているものもあります。

以下では文脈としてはおかしくないが、本来の意味からは間違えた使い方と言える例文を示します。


「うがった見方かもしれませんが」を使った例文

・『うがった見方かも知れませんが、余りにも強くその政策に拘るのは、あの政治家に何らかのメリットがあるからかも知れません』
・『余りにもうがった見方かも知れませんが、こうした可能性もあると思われます』

「うがった見方かもしれませんが」の類語や言い換え

「うがった見方かもしれませんが」を、文脈上から「疑って掛かるような見方かも知れませんが」との意味で使っているとした場合、「うがった見方」の類語としては、その意味である「疑って掛かるような見方」「少し偏った見方」「斜から見る見方」等が挙げられます。

従って、「うがった見方かもしれませんが」は、上記の類語に「かも知れませんが」を付けて、言い換えることが出来ます。

まとめ

「うがった見方」の意味は「物事の本質をうまく的確に言い表した見方」と言うのが本来の意味ですが、最近では「疑って掛かるような見方」の意味で使われることの方が、多くなっており、辞書にも併記されているものもあります。

「うがった見方かもしれませんが」との表現は、文脈からして後者の本来は間違いと言える意味で使われた表現と言えます。