「荼毘に付される」という表現法についての解説です。
「荼毘に付される」とは?意味
「荼毘に付される」は、ビジネスの世界では、対象となる人物が亡くなり、火葬されるという意味です。
「荼毘」というのは、仏教の考え方で、インドが発祥になり、死者を炎で焼き火葬することを意味します。
この言葉は、直接火葬されると表現するよりも仏教の用語を用いることで柔らかな表現になり、かつ仏教でいう死者の弔いと旅立ちを意味するので火葬されるというよりも表現上よい表現になるのです。
「荼毘に付される」のビジネスでの使い方や使われ方、使うときの注意点
「荼毘に付される」は、ビジネスでは対象となる相手の家族が火葬されたという意味で使用します。
そのうえで、注意してほしいのが、この言葉は、対象となる人物は、自分の家族ではなく、第3者の家族であることです。
自分の家族を火葬しましたという場合、「荼毘に付す」というのが正しい表現で、自分の家族の火葬を付されるというのは誤りになるので注意しましょう。
ちなみに、「荼毘」は、仏教の火葬なので、日本では葬儀は火葬が主流ですが海外では土葬だったりすることもあるので土葬の場合、「荼毘」という言葉は使用できませんし、宗教がキリスト教の場合もありますので使用できない言葉です。
「荼毘に付される」を使った例文
・『社長が今朝、荼毘に付される』
・『部長の家族が今朝荼毘に付される』
「荼毘に付される」の返答や返信例
「荼毘に付される」は、ビジネスにおいての返答は、無事相手家族火葬を終えたということについて誰かが返事をするということになります。
つまり、相手家族が葬儀に参加した人に対してあいさつとして返事をすることもあれば、誰も返事をしないということもあるので、返答及び返信についてはしなくともよいです。
つまり、相手家族の火葬に参加していたのであれば、それが答えであり返事なのです。
無論、相手家族が参加者に対して、「無事に送り届けることができました。
今日は最後まで参加ありがとうございます」と言えば、それが空いて遺族の「荼毘に付される」という事実に対する答えになります。
まとめ
「荼毘に付される」は、ビジネスでは、自分の家族ではなく、相手の家族が火葬という葬儀を執り行ったという事実を述べる言葉になります。
あえて、火葬を執り行ったと言わないのがこの言葉のポイントで、宗教の用語として表現することで柔らかな印象を言葉に与えるのがこの表現法のポイントになります。
なお、この言葉は、仏教ですから、火葬という風習がある国であり、かつ仏教を信仰している国でなければなりません。
なので、キリスト教で火葬をする場合、異なる宗教なので、本当は使用できないのが荼毘です。