「浅学非才」はどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。
今回は、「浅学非才」の意味と類似表現について解説します。
「浅学非才」とは?
「浅学非才」とは、「取り立てて大したことのない人間であると自分をへりくだって言う謙遜表現」です。
「浅学非才」の使い方や使われ方、使うときの注意点
「浅学非才」をそのまま解釈すると「学は浅く才能もない」という意味になります。
無知であり無能であることを表しており簡単にいえば「無価値」「役立たず」「無教養」など「頭脳や才覚において取り立ててみるべきところがなく人と比べても大した人物ではない」ことを意味する言葉です。
「浅学非才」が使われるのはスピーチや目上の人との会話など、へりくだって謙遜するときです。
「浅学非才」は本当にそう思っているのではなくあえておとしめて言う謙遜表現であり本当に自分を役に立たない無能だと思っているわけではありません。
自分のことを「浅学非才」と表現することで優れているとおごり高ぶっていないと表明しているのに加え「周りの優秀な皆さんに比べれば私など大したことがない」という自分以外を高める意味合いも含んでいます。
自分が優れた人物であるとひけらかすようなふるまいは健常が尊ばれる日本において好ましくないとされています。
「浅学非才」という表現は「多少の知恵はあるが自分はまだまだである」という自分をきちんとわきまえていることをあらわす表現です。
「浅学非才」という表現は敬意を払うべき人物に対して使われます。
地位や立場が上であるだけではなく人として尊敬できる人や立派な人に対しては「浅学非才」という表現を用い自分自身がまだまだであることを示します。
ただし、場面によっては「浅学非才」という表現が傲慢で余裕ぶった印象を与えてしまうこともあります。
頭脳が認められて表彰されるときや実力を見込まれて頼りにされるときに「浅学非才」という表現を使ってしまうと見出してくれた人の見る目がないという意味に取られる恐れがあります。
どんな場面でも謙遜すればいいわけではないので「浅学非才」を使ってもいい場面かどうか慎重に判断してください。
「浅学非才」を使った例文
・『浅学非才の身ではありますが誠心誠意頑張るつもりです』
・『こんなに素晴らしいお話を持ってきていただけるとは、浅学非才の身に余る光栄です』
・『浅学非才を自覚しているが彼と同列に並べられるのは心外だ』
「浅学非才」の類語や言いかえ
・未熟者
「技術や経験が十分ではなく成熟していない者」を意味する言葉です。
確かな実力がない人を指す言葉で「浅学非才」が知識や学力などを指すのに対し、こちらは技術や実力などより実践的な能力の不足を意味します。
まとめ
「浅学非才」は日常会話で使うことはほとんどない言葉ですがビジネスの世界ではしばしば耳にします。
特にあいさつ文などで自分をへりくだって言うときに多用される言葉なので正しく使いこなせるように意味をきちんと理解しておきましょう。