「身に余る光栄に存じます」という表現法についての解説です。
「身に余る光栄に存じます」とは?意味
「身に余る光栄に存じます」は、ビジネスにおいては、自分の役割とか、身分に釣り合っていない栄誉なことであるという意味です。
もっと砕けて表現すれば、過剰な栄誉であるということを表現しているのがこのワードになります。
この表現の目的は、印象の操作にあり、印象において控えめに自分を評価し、評価を貰ったことについて栄誉だと述べています。
印象を操作することで、控えめな性格であるとビジネスの世界で自己を表現するのがこのワードの持つ側面です。
なお、栄誉については、もらえる対価や役職のことで、ビジネスで言う昇進のことです。
「身に余る光栄に存じます」のビジネスでの使い方や使われ方、使うときの注意点
「身に余る光栄に存じます」は、自分の性格を控えめに表現して、過剰な栄誉を与えられたことについて輝かしい栄誉だと周囲に公言する際に使用します。
よって、この言葉を使用するうえでの注意点は、「身に余る光栄に存じます」という表現は自分の能力で栄誉を獲得していても控えめな表現で、栄誉を獲得したとなるので、偉そうに打って出ることはできません。
もし、偉そうに栄誉を得るのは当然だというようなことを言い出せば、「身に余る光栄に存じます」という言葉は端から建前で本音は自分の能力が優れているから当たり前だという意味にとられるのです。
「身に余る光栄に存じます」を使った例文
・『部長就任につきましては身に余る光栄に存じます』
「身に余る光栄に存じます」の返答や返信例
「身に余る光栄に存じます」についての返答は、相手に対して栄誉を与えた人物が返事をします。
そのうえで相手側が控えめに栄誉を授けられたことを光栄であると言っているわけですから、与えた栄誉について、「頑張ってください」と言えば、十分に相手に返事をしたとみなします。
なお、ここで言う栄誉が部長就任だった場合、部長就任について「頑張ってください」という返事をしたということになります。
まとめ
「身に余る光栄に存じます」は、印象を操作する表現で、自分と言う存在を控えめにして、評価をされることは光栄で輝かしいことであるという意味です。
なので、自分の実力で、栄誉を得て昇進をしていたとしても、この表現を使用した場合においては偉そうに打って出ることはできません。
なぜなら、この言葉は、自分を控えめに表現し、かつ栄誉を受け取ることについても自分の能力では過剰評価だと言ってのけているわけですから、偉そうに自分の能力であれば当然だといえば、控えめな表現が台無しです。
無論、「身に余る光栄に存じます」という表現にも実は問題があり、実力を控えめに表現するため、実力者がこの言葉を言えば、ビジネスなんかの世界では嫌味であると取られることもあり得るため、使いどころについては昇進なんかは偶然だったという印象にもっていく場合に使用するのが望ましいでしょう。