この記事では日常的にも、ビジネスの場でもしばしば使われる慣用句の「察するに余りある」について、その意味や使い方等を分かりやすく説明します。
「察するに余りある」とは?意味
「察するに余りある」とは、「相手の境遇や状況等に想いを致そうとしても、その状態や心情がどれほどのものか、想像する範囲を超えていること」を意味する慣用句です。
当事者ではない自分には、想像や推察が出来ないほど、その境遇や状況がひどい場合に使われる表現です。
主に相手の人の辛さや、悲しさや、怒りの想いに対して使われることが多い言葉です。
ただし、喜びや楽しい事柄に対しても使える言葉です。
「察するに余りある」の「察する」は、「他者の思いや状態を推し測り、同情したり、思いやること」を意味します。
また「余りある」は「どんなにしても、し尽くせないこと」を意味する言葉です。
従って二つの言葉で構成される「察するに余りある」とは、「他者の思いや状態を推し測り、同情したり、思いやることをしても、しつくせないこと」の意味となり、表現を換えると、冒頭に記載した「相手の境遇や状況等に想いを致そうとしても、その状態や心情がどれほどのものか、想像する範囲を超えていること」の意味となるのです。
「察するに余りある」の上司や目上に使うときの注意点
「察するに余りある」の慣用句には、敬語表現が一切使われていません。
従って、推し測る相手が上司や目上の人の場合には、敬語表現に置き換えて、お察しするに余りあることでごいます」などとすべきです。
もちろん、上司や目上の人との会話中に、自分と同格の第三者を話題にし、その第三者の想いを「察するに余りある」とする場合には、この慣用句の前後の文章を敬語表現とすればOKです。
例えば、「私は彼の苦境を知り、その辛さは察するに余りあると感じています。
ぜひ彼の苦境を救ってやっていただけないでしょうか」のように表現すれば良いと言えます。
「察するに余りある」を使った例文
「察するに余りある」を使った例文は、以下の通りです。
3番目の例文は、敬語表現の例です。
・『東日本大震災では多くの人々が大切な人を亡くされました。そうした人々の気持ちは察するに余りあります』
・『結婚まで考えていた彼と別れることになった彼女の失意は察するに余りある』
・『ご両親を相次いで亡くされた先生のお気持ちは、お察しするに余りあることでございます』
「察するに余りある」の類語や言い換え
「察するに余りある」の類語や言い換えとしては、「痛いほどわかる」や「胸中察します」や「強く共感する」や「感情移入する」などが挙げられます。
まとめ
「察するに余りある」とは、「相手の境遇や状況等に想いを致そうとしても、その状態や心情がどれほどのものか、想像する範囲を超えていること」を意味する慣用句です。
主に相手の人の辛さや、悲しさや、怒りの想いに対して使われることが多い言葉ですが、喜びや楽しい事柄に対しても使える言葉です。